慶安2年(1649) 眞護山興隆院宗海寺と号し建立された。 明治元年、 廃寺となったが、 明治36年再興され、後に文珠院と改められた。田町の鎮守として人々が信心を新たにしたのは、 昭和20年7月の仙台空襲でのことだった。仙台市街地のほとんどが焦土化されたのに、 田町は文珠院が全焼しただけで家々は無事だった。「文珠院が身代わりになって町を守った」。
町内会青年部有志が戦後間もない物不足の中、資材を持ち寄って手づくりで堂宇を再建。焼失した本尊に代わり堆朱 (ついしゅ)の大日如来像を据えた。大日如来は廃寺となった時に行方不明となり、その後安置した尊像は、空襲で焼失しました。 従って、現在の大日如来は、三代目という事になります。
平成20年12月に新しい御堂を落慶し今日に至る。大日堂は切妻づくり、妻入り、間口1間半(2.01m)、奥行き2間(3.6m)瓦葺です。なお、当院大日如来は、未年生まれ、申年生まれの守り本尊を静置している。
毎年7月第2日曜日には「大日堂祭典」が催しされ、裃姿の先導者、露沸い、 行灯、太鼓、 旗持ち、 稚児行列、 手づくりの子供神輿、 袴姿の三方、大人神輿を含めた総勢80人ほどが町内を練り歩きます。その前日には、出店が立並び、 大道芸、 奇術、学年別腕相撲そしてカラオケ大会と抽選会が開催され、 子供たちに良き思い出を提供しています。
大日堂祭典は、戦前から盛大に催されていたようですが、 戦争のために各種資料が見当たらず、その代わり、ここ20年余の大日堂祭典の写真を集めた掲示板が大日堂寺務所脇に掲げられている。
元朝参り、 どんと祭 (1月14日夜) <どんと祭は神社の境内で正月飾りを焼き、 御神火にあたる事で一年の無病息災・家内安全を祈願する祭りであり、 宮城県固有の祭りである>も人出が多い。
■平成後半の大日堂宵祭り、本祭りの熱き写真を掲載します。
■2012年 (平成24年) 7月14日(土) 宵祭り、7月15日 (日) : 本祭り
■2017年(平成29年) 7月8日 (土) 宵祭り、 7月9日 (日) 本祭リ
天候にも恵まれ、 五橋警察署、交通指導隊にお世話になりながら、 稚児行列: 26名、 子供神輿・ 旗持ち・子供太鼓:44名、 大人神輿20名が参加し、大人はお神酒を頂いた上、勢いよく大日堂を出発しました。 東北学院大学の学生さん達には今年も参加して頂き大変助かります。 また、子供会のお母さん達には、 各休憩所で、 冷たい飲料水を提供して頂き、お父さん達には、テントの設営に協力して頂き感謝しています。
片平消防署、 片平消防団2名の協力を得て、 どんと祭を開きました。 正月飾りに付き物のみかん、小さな鈴、 12支動物の瀬戸物等を取り除く作業は大変ですが、御神火の下、 焼き芋をいただくのが火守りを行う町内会役員の役得です。 参拝客は、およそ360名。
■2018年(平成30年) 7月13日(土) 宵祭り、7月14日(日) : 本祭り
片平消防団2名の協力を得て、 無事、御神火を納めることが出来ました。両日とも暖かい日となり、新しい祭壇 (提灯) の下、約300名の人が参拝。 子供会の協力を得て、 無料提供の甘酒、みかんは評判が良かったです。
■2019年(令和元年) 7月13日(土) 宵祭り、 7月14日(日) : 本祭り
門柱及びのぼり旗の昇降をボール方式に更新したため、 祭典の準備が容易になりました。コロナ禍のため、今年は味が評判の甘酒の提供は止め、 みかんだけになり寂しい感じです。白色の提灯列が珍しいと参拝にきていただいた女性がおりましたが、元朝参り時は小雪も降り、例年より参拝客が少なく300余名でした。
どんと祭は、非常に風の強い日となり、本堂内や参拝客に火の粉が降りかかる心配がありましたが、参拝客は約380名。前年に続いて甘酒の提供はなく、みかんだけにしました。 今年も、町内会の役員の方々に、お守り、おみくじ、お札、 念珠等の準備でお世話になります。
コロナ禍で大日堂祭典が開催されなかった前々年と前年の6年生及び今年の子供会のメンバー全員に、「コロナに負けずに頑張れ」という願いを込めて、町内会からお菓子を配りました。子供達からは、お礼と感謝の気持ちを込めた手紙や可愛い絵ハガキを頂きました。
両日とも、近年になく風もない温暖な気候に恵まれ、 コロナ禍が収まっていない中で、 元朝参り、どんと祭で計700余名の人出があり、本堂に真新しい提灯を吊下げた甲斐がありました。どんと祭の神火では、地域消防団である東北大の学生4名にお世話になり、無事納めることが出来ました。
今年は、東北学院大学キャンパス集約化に伴う学生数の増加により、のぼり旗をたてる箇所が制約され、大日堂周辺7ヶ所に絞りました。韓国、中国、 フランス、ドイツの留学生7名を含む大人神輿・大うちわ30名、 行灯・子供太鼓・旗持ち・子供神輿、 うちわ31名、 稚児行列5名、 先導・三方3名の計69名で、4年振りに、熱中症の心配がいらない程よい気候の中で、町内を練り歩きました。久しぶりの開催ということで、互いに、“阿吽の呼吸”とはいかず細かい所で伝達不十分のところが散見されましたが、 無事終えることができました。
■2024 (令和6年)元朝参り、どんと祭(1月14日)
初詣・どんと祭の両日とも天気に恵まれ、また、近隣住民の高齢化にともない、急傾斜の参道がある愛宕神社の代わりに近場の神社に変更された方も多数みうけられ、総計1,000名を超える人出になりました。どんと祭では、午後5時に西光院住職による「忌火」により点火され、持ち寄られた門松、注連縄、松飾り、古い年賀はがき等の思い出の品物等が焚き上げられました。今年も、子供会のお母さん達にみかん配りを手伝っていただき、高齢者の町内会役員にとって大変助かっています。
●2024年(令和6年)宵祭り(7月12日)、本祭り(7月13日)
この時期には、珍しく暑くもなく、湿度も高くなく神輿日和でした。東北学院大学の留学生を含む大人神輿29名が参加し、昨年のように、子供神輿行列を大人神輿が追い抜くといった珍場面もなく、連携プレーも完璧でした。ただし、交通量が多くなりつつある中で、大人神輿の神輿経路については、来年以降、警察から再検討が要請されました。今年は、電柱に幟を取り付けることが禁止され、2年まえには、花火打ち上げが禁止(大日堂前庭の広さでは祭典開始の花火打上げができない)される事態となっており、制約が多い世相となってきました。
翌日は、今回初登場の淑女たち8名編成の「アンサンブルゴルデンプラス」の吹奏楽で始まり、子供達それぞれの個性がわかる押し相撲大会、コロナ禍で一時遠慮し、昨年から復活した秋山氏のガマの油口上、学部2年生以下で編成された東北学院大学・奇術研究会のマジックショーが披露され、カラオケ大会では、将来プロ歌手を目指すのではないかと思われる本格的な歌唱力を持った女子が登場し、皆さんの喝さいを浴びておりました。
●2025年(令和7年)元朝参り、どんと祭(1月14日)
「NHK紅白歌合戦」を見た後、23時45分ごろから愛宕神社に向かい、除夜の鐘をつき、新たな新年いわゆる正月を迎えることが、この地域にお住まいの方々の慣行みたいなものでしたが、参拝者の高齢化に伴い、急こう配の神社階段を上ることを避け、近場の文珠院大日堂で参拝される方が近年増えつつある。杖を持参した年配者が、互いに寄り添いながら参拝される微笑ましい姿が目立ちました。参拝者は昨年には及びませんでしたが、約900名の方々にお参りに来ていただきました。